業務日誌
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2003年5月1日(木) 毎日グループ研修です。(はああ〜)
昨日もグループ研修でした。15分以上遅刻したら大臣認定が受けられませんから、皆さん早めに集合してるようです。微妙に参加者の顔色が悪くなってきました(笑)。簡易裁判所での典型事例(消費貸借・売買・賃貸借・土地明渡しなど)ごと消化しています。(消化できてないという話もあります。)
グループ内のテキストとして「簡裁民事事件の考え方と実務」「要件事実の考え方と実務」(いずれも民事法研究会)を使用しています。他の副教材に比べると解りやすく書いてありますが、不慣れな分厳しいですね。次回出席される方は購入してはどうでしょうか?
グループ研修は、グループリーダーが中心に進めていきますから、リーダーによっては当りはずれがあるように思います。幸いうちのリーダーは前者のようです。全日程の10分の1は終わったようです。
2回目以降の研修であれば、大臣認定の考査がどんなものであるか、事前にわかりますから、対策も立てやすいと思います。私たちはいったいどんな考査があるのか現時点で不明ですので、100時間研修を受けて考査に落ちるなんて悲しすぎる事態にならないよう真剣に取り組まないといけません。

PS
毎日つらい・つらいでは読んでる方もつらいでしょうから、ちょっと一休みネタ。
2日連続で志茂田景樹を見ました。あのままで麻布十番を歩いていました(笑)。
2003年5月2日(金) 今日は成年後見事務
今日は成年後見事務。依頼者を面談してきました。
依頼者の話によると、私のところに依頼にくるまで、
@インターネットで成年後見を検索。法務省のページを見る。
A法務省に行くが法定後見と任意後見の説明をされ、区役所に行くよう言われる。
B区役所では公証人役場に行くように言われる。
C公証人役場で司法書士会に行くように言われる。
D司法書士会館のリーガルサポートで登録者を紹介すると言われる。
Eやっと私に依頼する。
とグルグルたらい回しにされたそうです。
@のインターネットの検索で運良くリーガルサポートのページを見つければ良かったんでしょうけど、成年後見制度が新しく認知されていないので、相談窓口を見つけるのが一苦労ですね。依頼者はまだインターネットで検索できたから、遠回りしても一応解決しましたけど、一般の方の簡単なアクセスには遠いようです。
面談中にうちの父親から電話があり、「今、お客様と面談中だから。折り返す」と断ってるにもかかわらず、「実はね。…・」と話続けていました。よっぽど、(「お父さん、ボケてるの?」)と突っ込もうと思いました。他人様の成年後見より、まず身内をしっかりしろという感じですよね(笑)。
言わずもがな、今日も研修です。今やってるグループ研修はグループによって時間割が違います。うちのグループは3・4・5日を連休としたため、その分平日にしわ寄せが来てますけど、グループによっては平日の負担を軽くするため、連休中に研修があるところもあるそうです。とにかく久々に訪れる休息をのんびり楽しみたいです。楽しむというより、とにかく寝ます(笑)。
2003年5月5日(月) 連休ってお休みのはず
課題(訴状の起案)が2つもでてて、お休みのはずなのに、事務所で訴状書いてます。
3連休ってのはうれしいけど、課題っていう罠がありました。キツイです(笑)。
2003年5月6日(火) 業務時間中に課題(泣)
昨日結局課題が終わらなかったので、業務時間中に課題を消化する始末です(泣)。
課題は建物明渡事件の訴状の作成と立替金請求事件の答弁書の作成です。この課題にそって模擬裁判を行うようです。
不慣れだとやっぱり時間ばかりかかりますね。会社設立とかのほうがよっぽど楽です。実際に実務でどれだけやるか、費用対効果で考えるとなかなか厳しそうです。(訴額20万円で10万円とかとれないですから。)顧問契約上でのサービスの一環といった位置付けになるんでしょう。場数を踏んで、要領良くやるしかないですね。
法改正がうまくいって簡易裁判所での訴額が140万円になると、通常の知り合いのトラブルはほぼ対応できそうです。場数踏んだら、任せて下さい。でも今はいっぱいいっぱいです(笑)。

PS 六本木ヒルズ効果なのか、麻布十番で道を尋ねる人が多くなりました。
2003年5月7日(水) 明日必ず。
しまった。日誌の更新をすっかり忘れていました。あと30分もすると研修が始まりますので、明日朝にでも今日の分は補足します。すみません。ちょっとお待ち下さい。
2003年5月8日(木) 芸能人の登記
先日、志茂田景樹を二日連続で見た。と書きましたが、麻布十番でアジャ・コングを見ました。また近くでTVの撮影があったりと、都会ならではといった感じです。今回はこんな芸能人のお話。港区にはキー局が四つあります。(TBS、フジテレビ、テレビ朝日、テレビ東京)海を越えますけど、お台場も一応港区です。(だから先日の研修もお台場だった訳です。)ほとんどのキー局が集中してますから、芸能人の出現率も当然高いですよね。
となると芸能プロダクションの会社登記があったり、芸能人が絡む登記も出てきます。我々司法書士には守秘義務がありますので、ここに実名を明かせないのが実に残念ですが我慢して下さい。(つづく)

【登記一口メモ】
不動産登記の立会いの場合「モノの確認・ヒトの確認・申請意思の確認」がとても重要だとされています。特に所有権が移転するような場合ではなおさらです。本当にこの物件でよいのか。
今日ここに来た人は本人なのか。所有権を移転することになるけれど、それでいいのか。など確認することはいっぱいあります。本人確認では写真付の証明書(運転免許書・パスポート)などを提示してもらったりします。
2003年5月9日(金) 芸能人の登記 その2
もったいぶってつづくにしてしまいましたが、昨日の続き。
芸能人も人の子ですから、芸能人が不動産を売買したりすることはある訳です。昨日の登記一口メモで触れたように、不動産登記の場合は「モノの確認・ヒトの確認・申請意思の確認」が重要です。さもないと所有者が不測の損害を招いたりしますから。
以前不動産の取引があり、業者との打合せの段階で「売主はお忙しい人だから、取引の現場にはでられない。」との説明がありました。こちらとしては「モノの確認・ヒトの確認・申請意思の確認」をしないまま取引をする訳にもいかないと説明し、別の機会にこれらの確認をするということで納得してもらいました。
事前調査で当該物件の登記簿謄本を取得したところ所有者の欄に聞き覚えのある名前が記載されていました。芸能人でも芸名を使わないで本名で活動してらっしゃる方がいますけど、この方もそうでした。しかもかなりの大物でした。
業者に確認したところ、やっぱり本人だということでした。(つづく)

P.S.
研修もようやく3分の1が終わりそうです。先日作成した訴状・答弁書は書士会に提出しました。提出した訴状・答弁書は週末の講師になる弁護士に渡され、そこで解説が行われるそうです。土日はまた9時半から6時ぐらいまであります。最終的な考査についてさまざまなデマ・憶測が飛び交ってます。落ちないように地味に勉強してます。
2003年5月12日(月) 芸能人の登記 その3
またしても、もったいぶってつづくにしてしまいましたが、昨日の続き。
いよいよ待ち合わせ場所(売主が所属する芸能プロダクション)に向いました。大物芸能人との面談ということもあり、当日は多少緊張しておりました。うちサイドからは単純に大物芸能人に会いたいという人間を含め3名でお邪魔しました。
いよいよご本人の登場です。TVとおりの明るい方でこちらの緊張もすぐ解けました。印鑑証明書を提出して頂き、委任状に署名捺印をしてもらいました。
大物芸能人「今回は本人確認ということですが、運転免許をご覧になりますか?(ニヤリ)」
誰がみても間違い無く本人です。日本中のほとんどが知ってるこの人は、けしてソックリさんではありませんでした。
私「いえいえ、結構です(苦笑)。」
存在自体が運転免許みたいなもんですから、恐縮してしまいました。(つづく)

PS 週末朝から研修がありました。30人ぐらいのゼミ単位での構成です。同じ日程で全国で同様のゼミが開かれたようです。各グループが起案した訴状を検討していくという形式で行われました。たまたま東京でのゼミということもあり、司法修習所の教官をされていた弁護士で、今回の課題を作成した方によるゼミでした。いやはや疲れました。どんどん質問されますので、6時間ずっと緊張しっぱなしでした。ストレスが目一杯たまりました。お昼休みの段階でみんなグッタリしてました(笑)。
講義では、全体的に出来が良くないとバッサリやられました。こんな感じで司法修習があるのなら、きっと皆さん鍛えられるんでしょう。長期間の研修ですが、ただ研修にでるだけでなく、予習・復習をしっかりやらないと考査に通らない雰囲気です。考査の合格者は、官報と法務省のHPに掲載されるそうです。訴訟代理人の道は険しそうです。
2003年5月13日(火) 芸能人の登記 その4
またまたつづくにしてしまいましたが、昨日の続き。(研修でネタを拾うのが大変なんです。)
ご本人が登場した応接室にて、
私「中学・高校のころ、勉強しながら○○さんのラジオ聞いてました。」
大物芸能人「先生おいくつなの?」
私「昭和40年生まれです。」
ちょっと間があり、相手方全員がちょっと固まってる様子。どうやらメチャメチャ老けて見られていたようです。
大物芸能人「ああ、その世代の人は、はまってる人多かったよね(またしてもニヤリ)」
白い歯が印象的です。やっぱり芸能人は歯が命なんだと再確認しました。
サービス精神旺盛で、われわれ相手にいろいろ面白いことをおっしゃっていました。
いろいろな書類を差し出して「ここに署名捺印して下さい。」とやっていた時のこと。
うちの人間が委任状の次に差し出したのはなんと色紙。
「すみません。これお願いします。」と恐る恐る色紙を差し出したところ
大物芸能人「これには実印押さなくてもいいの?(またまたニヤリ)」
「いやいや結構です。署名だけで。」と恐縮してました(笑)。(つづく)

PS
研修で今度の25日に模擬裁判をやるみたいです。原告・被告代理人、証人、裁判官役になって裁判のマネゴトをやるようです。ちなみに私は原告の訴訟代理人役です。証人尋問だけでも3時間の枠があります。みんなが見てる前で「異議あり!」とか発言するのはチョット恥ずかしいです。
2003年5月14日(水) なぜ大安に?
今日丸1日裁判所で終日研修がありました。明日もあります。
ちょっと忙しすぎるので、続きはまた次回で!
2003年5月15日(木) 芸能人の登記 その5(完結編)
昨日は失礼しました。つづきです。
連れが色紙持ってきてるなんて聞いてなかったので、やられたなあと思っていたところ、プロダクションの方が「これよかったらどうぞ。」とベスト版のCDと新曲のCD、さらにライブのビデオ、スタッフ・ジャンパーを持ってきてくれました。ラッキーでした。
その後またご本人の別の登記がありました。
事務所の方から「今なら羽田空港に向かう車にいるので、直接本人とお話下さい。」と連絡があり、ご本人の携帯の番号を教えてもらいました。大物芸能人と電話で話すこともなかなかありませんから、ちょっと緊張ぎみに電話をかけました。
私「もしもし司法書士の原田ですけど…」
大物芸能人「もしもし」
うわあ。本人が直接でたあ。独特の声なんですぐご本人とわかりました。てっきりマネージャーさんがでると思ってたんで、ちょっとビックリ。
大物芸能人「おはようございます。あっ、せんせ。この間はどうも。」
夕方電話したんですけど、やっぱり業界は「おはよう」っていうんだ。と変なところで感心してしまいました。
こんなかんじでこの方の登記は3回ほどやらせて頂きました。なかなかこんな機会はないと思いますが、港区ならではの立会い風景ですね。
テレビにこの方が出てるたびに、なんとなく応援したくなります(おわり)。
2003年5月16日(金) 「今度は法廷でお会いしましょう。」
昨日おとといと東京簡易裁判所に終日研修がありました。簡裁の判事の方々による講義、訴訟手続を説明したビデオの上映、実際の裁判の傍聴・レポート提出と内容の濃い研修でした。実際の裁判の傍聴も争点が多く・興味深いものを、私達の役に立つように、期日をわざわざ調整して研修に合わせて頂いたようです。
ふつう裁判を傍聴する人は、有名な事件の裁判でもない限り少ないと思いますが、今回東京会から100人が研修に出席していましたから、傍聴席に司法書士が鈴なりになっていました。当事者尋問や証人尋問に呼ばれた人は観客の多さに戸惑っていたのではないでしょうか?
普通のお兄ちゃんが被告として呼ばれているのは気の毒な気がしました。(でもお金は支払ってないみたいですけど(笑)。)
裁判が終わり関係者が退出すると、判事が歩み寄ってきて先ほどの事件の解説があり、質問にも気軽に応じて頂きました。
普通「訴えてやる!」とか「今度は法廷でお会いしましょう。」とかという台詞は嫌な感じがしますが、訴訟代理人になるであろう私達に講義を終えた判事が「今度は法廷でお会いしましょう(笑)。」とニコヤカに挨拶されました。言われても嫌な感じのしない「今度は法廷でお会いしましょう。」ってのもあるんですね。
2003年5月19日(月) 考査合格後
今度の週末に模擬裁判をやります。事案が結構複雑で、原告・被告どちらが有利とも言えない微妙なかんじです。ただ教材としてはとてもいいのではないでしょうか。
本来なら、準備書面・証拠申出書など作成しなければならないのですが、こうしてのん気に日誌を書いてます。
「裁判するのに司法書士さんに頼めるんですよね。」というお客様が今日お見えになりました。昔ならちょっと腰が引けるような案件でしたが、今特別研修を受けている最中だということを説明して、お急ぎでなければ認定後(考査合格後)また相談に来てもらうことにしました。考査合格後っていつになるんですかね(笑)。
この方は簡裁代理権が司法書士に付与されたことをご存知でした。そのうち登記以外のお客様もこうしてお見えになるんでしょう。
2003年5月20日(火) 裁判もやる?ってか!
特別研修もいよいよあと10日ぐらいになりました。模擬裁判に向けて資料作りもいよいよ大詰めです。最初の頃、研修のほかの方を飲みに誘っても〜。と不満げに書いておりましたが、これだけ長期の研修だとこのぐらいのスタンスのほうが、無難だった気がしてきました。
考査も近づいてきましたので、グループ内で考査の話はよくでるのですが、昨日グループ・リーダー(裁判事務経験者。他のグループ・リーダーと比較してもいけてる方だと思う。)が「考査で私が落ちても笑わないで下さいよ。」と言ってましたが、「大丈夫です。あなたが落ちたらみんな落ちます。」とみんなが突っ込んでいました。最初の頃は研修にさえ出てれば認定されるという認識でしたが、今はどれだけ受かるのかな?というかんじになっています。

PS
芸能人ネタがつき、またしてもネタ探しに四苦八苦しております。
ところで、司法書士会で作成している雑誌「falo」の前号のタイトルが「ボケたらどうする?」というのはご紹介しましたが、今回のタイトルは「裁判もやる?ってか!」です。訴訟における司法書士の関与の仕方が割とうまくまとまって書いてあります。欲しいかたいらっしゃいましたら、ご連絡下さい。(事務所においでになった方には半ば強制的に渡してます(笑)。)
2003年5月21日(水) 擬制自白
先日の裁判所見学での判事のお話。
欠席裁判にならず(登記一口メモ参照)、相手方がとことん争う典型として「敷金返還請求」「交通事故の物損」「解雇予告手当」などがありますとの説明がありました。例えば「敷金返還請求」では明確な証拠(入居時・退去時の部屋の写真・ビデオ)がある場合が少なく事実認定するのが大変だとおっしゃっていました。(お互いの主張が証拠のないまま食い違う状態です。)
この判事ご自身が引越すことになった時の実体験を話して頂きました。判事ご自身が裁判を起こす訳にもいかないから(笑)と、後々争いの無いように部屋の写真はいっぱい撮ったとのことでした。この写真があれば裁判で争う可能性も少なくなりますし、仮に裁判になったとしても勝てる確率は多くなります。
なかなか出来ませんが、将来争うことのないように予防的にこういうことを心がけておくのは大切だと思います。みなさんも引越される際は入居・退去時の写真は撮っておきましょう。(昔と違ってデジカメで撮って保存しておけばいいので、コストもかかりませんからね。)笑えるようなネタを日々探していますが、なかなかありません。堅い内容が続いてますがご勘弁下さい。

【登記一口メモ】被告が裁判を欠席すると、つまり口頭弁論期日に出頭しないと、相手方の主張した事実を争わないことになるので、その事実を自白したものとみなされます。(民事訴訟法第159条−擬制自白)その結果原告勝訴の判決がでることになります。
2003年5月22日(木) 敷金返還請求
昨日の話に出た敷金返還請求について簡単にふれます。
賃貸借契約が終了した場合、賃借人は借りてる部屋を原状回復して大家に引き渡さなければなりません。
ここでいう原状回復の対象になるのは入居者が故意や過失で破損・汚損した部分だけです。
部屋でバットの素振りをして、誤って壁に穴を空けたとか(こんな人いるか?)、ペットを飼っていてジュータンを汚したとかがある場合、故意や過失で破損・汚損したと言えますので、ここの費用は賃借人が負担します。(この場合も大家の知り合いの業者だと修理費用が高いかもしれませんので、事情を話して自分で手配したほうがいいかもしれません。)
現状回復には、通常の使用によって生じた経年変化にともなう畳の日焼けや壁・床・天井の汚れなどの「自然の損耗」については含まれません。
つまりよく問題となるクロスの張り替え費用ですが、原則大家負担することになります。
クロスの張り替え費用は大家が次の借主に有利に貸せるために行うものですから、この費用を敷金から引いてしまうのはおかしいのです。
畳の張り替え費用なども賃貸人が負担するのが原則ですし、 クリーニング代ですら通常の使い方をしていれば、取られずに済む場合もあります。
まとめると基本的に普通の使い方をして、丁寧にお掃除をしてでていけば、敷金は全額返還してもらえるということです。
ちなみに、去年我が家も引越しましたが敷金は全額返還してもらいました。大家さんが私の職業知ってたという事もありましたけど。この職業でちょっと得したのはこれぐらいです(笑)。
2003年5月23日(金) キリマンジャロ
世界最高峰のエベレスト(チョモランマ、8850メートル)に挑んでいたプロスキーヤーの三浦雄一郎さん(70歳)が登頂に成功しました。「70歳でもやればできる。高齢化社会の日本を元気づけたい。」とおっしゃっているようです。成年後見のお客様もずいぶん元気づけられるでしょう。素晴らしいです。私はというと、事務所でのデスクワークが多いので、運動どころかあまり歩くこともない有様で、三浦さんから見れば腑抜けの中年となります。
でもこんな私も10年」(今より体重も20キロ痩せていました(汗)。)タンザニアにあるアフリカ大陸の最高峰キリマンジャロの登頂に成功したことがあります。当時スポーツジムに週4日、ボクシングジムに週2日通ってましたから、今とは別人のような体をしていました。自分の体力にも自信を持っていましたので、知り合いの冒険野郎(彼は既に5大陸最高峰制覇に成功・北極点もクロスカントリーで成功)にキリマンジャロの登頂を誘われて、すぐに行くことにしました。この頃は以前日誌で触れたように外資系企業に勤めていたこともあり、年末年始なら20日連続休暇も認められる環境にあったということも登山気分を後押ししました。「じゃあ、来年の初日の出はキリマンジャロの頂上だね。」と1月1日に頂上に到達するプランを練り、実行に移すことにしました。(このネタで心苦しいのですが、姑息につづく)
2003年5月26日(月) キリマンジャロ−その2
アフリカは普通の旅行地と違って黄熱病など3種類の予防接種が必要です。それぞれの注射の間隔を空けなければいけませんから1ヶ月ぐらい前から準備しました。マラリアも怖いので、東京で唯一マラリア対策用の錠剤(1錠5000円×6ぐらい、買う人がいないためか滅茶苦茶高い)を販売している外人医師の経営する病院に買いに行きました。黄熱病自体キツイのか予防接種して40℃近い熱が出ました。黄熱病の予防接種を受けると以後10年間予防接種が不要となるイエローカード(黄熱病の予防接種に関する国際証明書−International certificate of vaccination or revaccination against yellow fever)がもらえます。この証明書がないとタンザニアに入れません。10年間の期限ギリギリですけど、今ならタンザニアにすぐ行けます。(行きませんけど(笑)。)
滞在が長いこともあって、旅費をケチッたため、エアロフロートでモスクワ経由して行くはめになりました。そのため20時間以上かけて12月23日にケニアのナイロビ空港に到着しました。ナイロビは首都ですから、高層ビルが立ち並ぶ都会です。空港に降りた直後はアフリカも都会だと感心してしまいました。ところが空港が国立公園に隣接していることもあり、100メートルも行くとキリンが数頭いました。(作り話じゃありません。)
2003年5月27日(火) キリマンジャロ−その3
赤道直下ですから、真冬でも気温は30度を越えます。ナイロビの市内を見て回るとなんと東京で1錠5000円していたマラリア対策用の錠剤が100錠500円ぐらいで売ってました。かなりトホホです。こっちで買えば良かった。。。と思っても後の祭でした。ナイロビで四泊してから、キリマンジャロのあるタンザニアに向いました。せっかくここまで来たのでマサイマラ国立公園(大阪府ぐらいの大きさ)でサファリ・ツアーに参加し、ライオンとかを見て回りました。
12月27日、ところどころにシマウマの屍体が横たわる舗装されてない道路をジープで延々とドライブしました。サファリ・ツアーに参加してみて新しい発見がありました。動物の写真のアップは危なくて撮れず、唯一アップで撮れる写真は動物の屍体だけということです。でもどうしてもアップの写真が欲しかったので、屍体を激写しました。後日現像して思いっきり後悔しましたけど(笑)。
すっかり日も暮れる頃、タンザニアとの国境に到着しました。出入国の手続をすませ、その日はどうでもいいようなモーテルに泊まりました。

PS
事務所にまたしてもそれらしい人たち4人が来ました。事情を話し勘弁してもらいました。
助けて下さい(泣)。
2003年5月28日(水) キリマンジャロ−その4
翌朝28日、キリマンジャロの登山入り口(マラングゲート(1,150m))に到着。登山するすべての人間に保険をかけ、登山料(?)200ドルぐらいを入り口で払いました。シェルパ(荷物を持ってくれるありがたい人)の分まで負担したので結構な値段しました。現地で冒険野郎の知り合いで冒険野郎見習(?)のイギリス人男性と組んで登ることになりました。冒険野郎はこれでキリマンジャロは3回目、冒険野郎見習は私と同じ初めてです。
キリマンジャロは途中までなだらかな斜面です。つまり山頂ははるか先にうっすら見える程度です。あんなとこまで行くの?とちょっと後悔しながら、とてつもなくでかいリュックをしょって登り始めました。最初はジャングルのような密林のようなところを足場に気をつけて登って行きます。「おっ、野生のカメレオンがいる!」とか最初の内は、はしゃいでいましたが、単調な林道に飽きてしまい、その内グッタリしてだれもしゃべらなくなりました。途中山を降りてくる人とすれ違うと、彼らは元気そうに「ジャンボ!(スワヒリ語でこんにちは)」と話かけてきますが、こちらは小声で「ジャンボ。。」というのが精一杯でした。丸一日歩いて最初のキャンプ地(マンダラハット(2,700m))に到着しました。キャンプといってもしっかりした木造の学校の校舎のような施設があり、水洗トイレもありました。テントを張るのかと思っていましたので、ちょっと拍子抜けしました。こんな山なのに文明があります。
2003年5月29日(木) キリマンジャロ−その5
12月29日。朝6時に起きてすぐ出発しました。朝飯にシェルパが現地の人が食べるトウモロコシで作った団子のようなものを持ってきました。すごくまずかったのですが、露骨にまずいとも言えないので「Good. Good. 」と言っていたら、ニコニコして大盛りのおかわりを持ってきました。私が食べるのをニコニコして見ているので、泣きそうになりましたが、全部食べました。「Noと言える日本人になりたい。」とこの時はさすがに思いました。それに懲りてその後はカップラーメンみたいなものを毎日食べてました。
登山は中学校時代の霧島(九州にあります。)以来となります。富士山にすら登ったことはないので、標高3000メートルは未知の領域です。一応未知の領域の予習のために「山と渓谷」というマイナーな月刊誌を読みました。(業界では有名な雑誌なんでしょうが、業界の人間ではないので、以来この雑誌を読むことはありません。)
植物も高山植物ばかりになり、だんだん高地っぽくなったきました。シェルパは頭の上に大量の荷物を載せ、どんどん歩いていきます。まだまだ遠くに見える頂上のことを考え、ひたすら歩きます。風景がほとんど変化しないので退屈です。途中「Last water point」という看板がありました。そこにある小さな泉で貴重な水分を補給しました。ここで補給した水を担いで登らなくてはなりません。ここまでは贅沢に水を使っていましたが、今後は節水です。どうやらこれ以降ヒゲを剃る訳にはいかないようです。登山家はこんな理由でヒゲ生やしているのかと妙に納得しました。夕方ようやく次のキャンプ地ホロンボハット(3,720m)に到着しました。
2003年5月30日(金) キリマンジャロ−その6
ここまで多少疲れはありますが、高山病の症状はでてません。しかしヘビースモーカーの私(1日40本以上)がこのあたりからタバコを吸わなくなりました。結局山を降りるまで吸いません(吸えません)でした。なんとなく空気が薄くなってきた気がします。一緒に登っている冒険野郎がここで高度順化(高山病防止のため、ある一定の高度に一定の時間滞在する)するため、ここに3泊する予定だと説明しました。「楽勝だからガンガン行きましょう!」とお正月初日の出を頂上で迎えるプランを主張しましたが、「きっと後悔することになるから。」と冒険野郎に説得されました。今考えるとこの判断は正しかったようです。(あとで詳述します。)ここホロンボハットにもしっかりした作りのログ・ハウスのようなものが建っていました。30日は高度順化と蓄積された疲労を取るのため、ひたすらダラダラ過ごしました。この日はロッジに泊まらずテントを張りました。夜は、この標高では暑くもなく寒くもなくちょうど良いかんじです。
翌31日は多少高いところまで登り、またもとのホロンボハットに戻りました。とんでもない所で年越しすることになってしまいました。
1月1日全くお正月の雰囲気のない場所ですが、とりあえず初日を拝んどきました。
赤土の中をひたすら歩きました。人生でこれだけ連続して歩くことはもうないだろうな。と確信しながら歩きます。高度順化がうまくいっているのか、お昼すぎまでは快調でした。夕方近くなるころにはキリマンジャロの山頂がはっきり見えてきました。ところが、このあたりから体調が微妙になってきました。100メートル登るのがかなりしんどいです。結構ふらふらになって目的地キボハット(4,703m)に到着しました。赤道直下ですが、あたりには雪が積もっています。雪の中にテントを張りました。夜1時に、いよいよ山頂アタックです。

PS
最近法律と関係ない話は続いてますが、考査準備のため、それどころではありません。すみません。次回(月曜日)は考査も終わってます。終われば余裕があると思いますので、しばしお待ちを!

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