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2005年10月19日

タイで『徳政令』

今日、日経を読んでいたところ、『徳政令』の文字が目に入りました。タイのタクシン政権で『徳政令』が出されるようです。私は昔、大学受験で日本史を選択していたこともあり、多少の日本史オタクな部分があります。(日本史オタクの素養があったから、日本史選択だったという方が正しいかも(笑)。)そんな私ですから、日本史っぽい用語などには、ついつい敏感に反応しています。

日本史の勉強も大学受験までだと思っていましたが、大学で『日本法史』なるものを選択していました。文字通り日本の法の歴史でありますから、古くは「ツミ」「ハラヘ」に始まり、飛鳥浄御原朝廷律令、大宝律令等があり、鎌倉時代には、御成敗式目。そして永仁の徳政令が登場します。徳政令というと、対蒙古戦の後の永仁の徳政令が有名ですが、大学の頃のテキスト『概説日本法史(杉山晴康著)』によると、文永4年(1267年)、文永10年(1273年)にも御家人所領回復のために徳政令が出ているようです。

対蒙古戦で戦費などの負担が重くなり、疲弊していった御家人のための徳政令ですが、日本史上では、一時しのぎのものにしかすぎず、かえって御家人を経済的に追い詰める原因となり、また鎌倉幕府への不信感が増大していきます。そして結局は、六波羅探題の滅亡、新田義貞により北条高時が討たれ、鎌倉幕府は滅亡します。(懐かしい用語のオンパレードでしょう(笑)。>日本史オタク)

日本史上では、いい政策とは言えなかった徳政令ですが、タイでは、どう評価されるんでしょうね?

話は多少ずれますが、港区表参道にある根津美術館で、4年半ぶりの国宝「燕子花(かきつばた)図」(尾形光琳)公開中です。ご興味のある方は是非どうぞ。私の業務日誌の読者の中にいる日本史オタクのため、ちょっとマニアックな内容になってしまいました(笑)。